◎ホームページ管理者:(有)仁田デザイン事務所 仁田貴夫のプロフィール
◎7/15
アートって、何だ?
結論から。・・・よくわかりません。
『アートは難しい』『アートは素晴らしい!』・・・私には両方正しいと思うけど、同時にしっくりこない。だから名刺の肩書きに「アートディレクター」と書いておきながら、あまり近寄らないようにしている。美術大学を出ているし、子供時代から絵ばかり描いていた。商店街再開発の中心人物、茶屋の藤田さんがTVのインタビューで、『アートは利害関係がないから・・・』とおっしゃっていたけど、それは一部正しい・・・。しかし、消極的な理由のひとつという感じ。
話は変わりますが、昔からイラストレーション関係のトップランナーとして、今でも大活躍のテリー・ジョンソンこと湯村輝彦さんは、かつて「ヘタウマの教祖」として、一世を風靡した。彼曰く『ヘタウマにも序列がある。一番偉いのは「ヘタ ウマ」次は「ヘタ ヘタ」、三番手は「ウマ ウマ」。一番下が「ウマ ヘタ」。』わかります?この哲学的な分析が。
解説すると、「ヘタ ウマ」はへたくそそうに見えるけど、味があり知的な要素まで感じられる・・・。誤解を覚悟で例えると、ピカソやマチスが簡単に描いたように見える子供のような絵とか、利休が見立てて超高級なものにしてしまった朝鮮の日常雑器「井戸茶碗」みたいなものか。あの猪熊さんもマチスに言われたらしい・・・『君は絵がうますぎる』と。それから絵を崩し、抽象絵画まで行ってしまった。
次の「ヘタ ヘタ」。これは子供の絵や『天然もの』の絵ですね。うちの子も小学校に入るまでは、マチスばりの大胆な線と色で絵を描いていました。もちろん今は普通の人。『天然もの』は本人がわかっていない、意識していないのが前提。意識するととたんにダメになり、いやらしいものになりがちです。
続いて「ウマ ウマ」。これはわかりやすい。誰が見ても上手い!と思えるような絵。でもなにか味がない・・・。『技術的にはいいんだけどね・・・』の世界。子供の頃から絵が得意だった人や何々会会員というような人の絵はこのクラスが多い。私も子供の頃からこのクラスでした・・・と自分では思っています。『子供らしくない』とか『大人のような絵だ』とかよく言われていました。最近盗作問題で世間を騒がせた画家がいましたが、あの人の絵もこの世界かも。
最後に「ウマ ヘタ」。一見上手そうに見えて、へたくそ。何々会会員という世界の人達の中にもたくさんいます。全国の絵画愛好家の中にはこのクラスの人が多い。『なんでいけないんだ!?』と言う声が聞こえてきそうですが、人に害をおよばせなければいいのですが、時々問題もおこすクラスでもあります。ローンで買える頒布会的な絵とか、大々的に宣伝して、きれいなセールスウーマンが無知な若者に将来的な価値を期待させて売込むやつとか・・・。マーケティングとPRにしっかり費用をかけて、ターゲットを絞りこむ。ビジネス的には、見事な流れです。ある種のビジネスモデルでさえあります。
私見ですが、この「ヘタ ウマ」序列はそうとう核心を突いている感じがします。だから今でも通用する理論ではないかと思っています。広告業界が作った言葉で、今でも通用する「言葉」は、『軽薄短小』とこの『ヘタ ウマ理論』だと真面目に思っています。
長くなりました・・・。
アートって、何だ?この問題は多分いつになっても解決しない問題だと思われます。ごちゃごちゃしのごの言わずに、自分で描いても作ってもいい。見て評論家になるのもいい。もちろん買ってもいい。自分が好きで納得すれば全てオーケー。妙な下心が一番ダメ!!『何がでっきょんナ?』的好奇心で、暑い夏にアートを楽しみましょう!それにしても、どうして観音寺でアートなの?・・・堅く考える私でした。


◎4/24
ちょっと、入院。

 ・3月初旬から10日ほど(予定は2週間でした)、胃潰瘍と十二指腸潰瘍で入院してしまいました。昨年末に十二指腸潰瘍になったのですが、そこが再発。中途半端に直していたためか、年初めに会社同期の友人二人が亡くなったためか・・・とにかく散々な年初め3ヶ月でした。
 ・入院中は読書三昧。「国家の品格」や「戦争広告代理店」そして「Web進化論」と、途中まで読んでいたベストセラーや友人が薦めてくれた本を、一気に読みました。私はほとんどベストセラー本を話題になっている時に読まない人ですが今回はなぜか二冊も読んでしまいました。その感想を少し書きます。

 ・「国家の品格」は「品格」にひかれて読みました。意外だったのは、文章に「品格」が感じれれなかった事。著者ご本人も、話した内容が文章になった本なので、少し加筆しないといけなかった、と弁解していましたが。それでも全体の勢いと雰囲気が、ちょっと「品格」に欠けていた。内容的には、世相にドンピシャ(世相を見て急遽出版を決めたのなら、編集者の早業?に脱帽)の内容だったが、妙に不思議なちょっとアナクロ的な匂いも感じさせる文章でした。「武士道精神」とか、私たちが小学校時代に習った「道徳」的な内容が多かったせいかも知れない。今も論争になっている小学校時代からの英語学習については、筆者と同じく、私も「国語能力」を高めることが今は大事な気がします。やはり、基本や基礎ができていないと、まずい。土台が肝心。家やビルもいっしょ。それに、英語だ国語だと言う前に「コミュニケーション能力」を高める必要は間違いなくある。歳をとるほどにそう思うようになりました。
 ・「Web進化論」は大変面白かった。新聞の書評を見て購読。娘の彼氏や友人に薦めたほど。とにかく読みやすく、実に整理された文章と内容だった。筆者がコンサルの方だからか。(私は後の責任をとらないコンサルは嫌いだが・・・)私は難しい事をやさしく説明してくれる人を尊敬する。堺屋太一さんはその筆頭だ。お話が実にわかりやすい。簡単な事を難しそうに言う人が多いが、その逆は少ない。「Web進化論」の筆者は全然知らない人だったが、今後、梅田望夫氏に注目。
 ・内容は「ウェブ社会の大変化本番」「グーグルについて」「Web2.0」「ロングテール現象」「あちら側とこちら側」など、次の時代の社会が少し想像できる内容だった。恐ろしいほどのスピードで、デジタル世界は進んでいるようだ。クローズドな旧体制(こちら側)に属して生活している(稼いでいる)私には、恐ろしいほどの変化だ。静かにハイスピードでどんどん変化・進化しているらしい。「総表現社会とオープンソース現象」は、クローズドな旧体制や権威やプロフェッショナルを間違いなく駆逐し始めている・・・。年寄りも、変わることをくり返すか、静かに旧体制でいるか、どちらかだ・・・。困ったもんだ・・・。
 ・それでは、「国家の品格」や「Web進化論」は、「まちづくり」にどう関係していくのか?自分なりに感じるのは、補助金の有無にかかわらず、「まちづくり」は地域社会との関係。自分達だけでなく、お客さんの事や地域のことを考えない「まちづくり」はあり得ない。そこで「まちの品格」や「商店街や商店主や住人の品格」が問われる。自分達だけで完結する「まちづくり」はあり得ない。
 ・「Web進化論」は?「あちら側」では、今までの概念と違う社会や経済ができつつある。それも世界規模で!もちろん変化が早く、できては消え、つぶれては生まれの連続ではあるが。間違いなく5年前とは比べものにならないほど、プレーヤーも増え、旧体制(こちら側)を脅かす存在になっている。商売のライバルは、東京や大阪どころか、世界中に!。そんな時代だから、そうとう考え方を固め、独自性を出さなければ、間違いなく生きていけない。それはいつの時代でも、必要な事ではあったが、これからはその規模が半端じゃなく広く、変化も速い。
 ・私がまだ30代だと大変楽しい世界が広がるのだけど、50代半ばになると、ちょっとしんどい・・・。やっぱり、早く工芸職人になろうかな・・・と思ったりして。考えさせられるベストセラー本だった。


◎2/16
香川県「わがかがわ観光アカデミー(観音寺編)」のパネラーになる。
・1月29日、観音寺市総合コミュニティセンター会議室で行われた「わがかがわ観光アカデミー(観音寺編)」自体は大変素朴な集まりでした。風邪をひいていて少し熱があり、体調的には最悪でしたが、私には結構有意義でした。もっともっと昔の事を思い出し、議論し、アイデアを出し合いたかったけど。 会の内容は、香川県観光振興課の依頼により先行して実施されていた、香川大学学生達の「旧観音寺市中心街の身近なまちの宝物の調査報告」発表会が中心。午後の部でディスカッションが行われ、そこにパネラーとして出席した。肩書きとしては、地元老舗蒲鉾屋関係者及び商店街再開発に関与している者として。
会場は、なんと畳敷きの大広間。素朴な座ぶとんがいっぱい並び、なんとものんびりした風景でした。観客は、もちろん関係者が多く、一般の人はお年寄りや中年女性が多かった。内容がよくわからず、告知も少しだったのでしかたない。しかし、やっぱり若い人やこれからの観音寺市を支える30代、40代の社会人がもっともっといてほしかった。
香川大学学生達の「身近なまちの宝物の調査報告」発表は、夏休みの自由研究発表会的な内容でしたが、授業の一環だし、観音寺に直接利害関係がない学生達の行動ですから、あんなものか・・・。でも、かろうじて残っている古い店や産業に興味を示し、「路地裏探検」的な調査は『なんとなく今風』な感じではあった。いわゆる地元住民がほとんど意識していない「素朴な魅力の再発見」。日本中で行われている事ではあるが、部外者や都会生活者にとっては、田舎の小さい町の面白さは、これしかない。なかでも「食」。昼休みの食事に出てきた、手作りおにぎりに地元水産加工品や美味しいみそなどは、素朴で最高でした。ああいったものが日常的に提供できる店があれば、観光客は喜ぶこと請けあい。
面白い報告もあった。調査は二回行われたらしいが、二回目はけっこうめんどうくさがられ、冷たくされたらしい。なんとなく想像できる。学生達は、地元の人達にとって「お客さん」であり、少々浮世離れしていたのだ。仕事の邪魔にもなるし、あんまりメリットもなさそう・・・。一回はニコニコ対応したけど・・・。
地元の人達のメンタリティが想像できるし、のんびりした学生のメンタリティも想像できる。そこの落差、すれ違い・・・。なかなか難しいけど、そこでもっと突っ込んでいったら、何か別の感想が得られたかも。やはり、一回や二回ではなかなか難しい。嫌がられながら、うとまれながら、どんどん中に入っていかないと成果は得られない。ことわざの「虎穴に入らずんば、虎子を得ず。」か。学生からしたら、なんでそこまでやらなきゃいけないの!?ではあるが。
実は私にとっても、今回のお話は結構唐突でした。「なんで今、観音寺で観光?」。「何でひっぱるの?誰がひっぱるの?」・・・疑問ばかりでした。県の担当者の方と最初の打合わせの時に、けっこう話し込みました。私が驚き興味を持ったのは、アカデミーのことよりその担当者ご本人。雰囲気は、私の知っている県庁職員の方の雰囲気とはまったく違う感じ。香川県人でもなさそう・・・。なんか弁も立つし、口から出てくる専門用語もちょっと違う・・・。パネラーのことより、若い担当者に興味を持ちました。
その方は、やはり関東方面のご出身。以前は島根県で同じような観光事業を仕掛けていたらしい。香川県に来て、まだ一年ぐらい。なんと観光仕掛人?のスペシャリスト。よくわからないけど、臨時職員や嘱託のようなカタチで県に所属しているらしい。新しいシステムらしいが、行政も動いているのだ。
だからその人は、行動的で熱意も感じられる。(時間が少ないから、急いでいる感じもしたりして)すでに引田や庵治方面で同じような観光事業で動いたらしい。観音寺のためにご苦労さんです。心から思いました。しかし、私もまだ高松の人。日々の生活で四苦八苦。観音寺の人達を想像すると、簡単に動きそうにもない。引っ張る人がいない・・・。問題だらけ。会場にいた、元気で意識レベルが高そうで行動力もありそうな女性たちをもっと盛り上げたり、観音寺市の市長が市の5年後、10年後のグランドデザインの一環で「観光」を軸にすえ、市役所内にプロジェクトチームを立ち上げ、役所内でのブレーンストーミングやアイデア出しを積極的にやってみるとか・・・、なにか大ナタをふるう必要がありそう。
とにかく、内側から盛上がったり、自分の事として考え、行動する人がもっと、もっと、もっと必要。あの素晴らしい「市制50周年記念太鼓台まつり」のようなビッグイベントが実現できたのだから、できないことではない。これからは、ますます地域間競争が激化するし、2007年問題もあるように高齢化社会が訪れる。自分達のためにも子供達のためにも、住みやすく、人が羨むような生活環境が実現すれば自然と人が訪れ、商売もさかんになったりするのだけれど。あたりまえのことだけど「言うは易し、行うは難し」。
唐突だったけど、与えられたきっかけはなんとか活かしたい・・・。


◎2/9
人生を考えたりして・・・。
・東京の会社時代の同期友人がほぼ同時に、二人も亡くなった。二人とも長らく療養していたのだが、とうとう亡くなってしまった。年は私より少し上で、55歳と56歳。それにしても早すぎる死だ。広告代理店という、どうしても生活が不規則になりがちで、ストレスの多い職場なので先輩たちもたくさん亡くなっている。現役の死亡者数が大変多い業界だ。
昨年12月末に、高松出身の会社の大先輩、鈴木八朗さんも亡くなった。日本を代表するアートディレクターの一人だった人だが、寒い日、突然亡くなった。中旬には観音寺市商工会議所副会頭の藤田商店社長、藤田耕平さんも亡くなった。同い年だ。彼は中学時代、文武両道、成績は常にトップクラスで、クラブ活動の陸上部では短距離のエースだった。私は、走るのが遅かったので陸上部に入った、どうでもいい部員。彼は短距離用のスパイクを履く、キラキラしたエースだった。いつもニコニコして、やさしそうだった。
彼は高校から東京の慶応高校に行き、慶応大学卒業後商社の伊藤忠に入り、36歳ぐらいまで東京で活躍していた。その後、家業を継ぐために観音寺に帰り、最近は様々な役職につき大活躍していた。今後の観音寺市にとっても欠かせない、重要人物の一人だったのだが・・・。
藤田耕平さんも、私の同期の二人も、そして鈴木八朗さんもやり残した事がたくさんあったと思う。耕平さんは、91年に香川に帰ってきた私に「東京に比べ、こっちの仕事はけっこう楽だぞ。」と言っていた。同期の二人は、地元に密着して様々な事にトライしている私に、「お前ががんばっているから、励みになるよ!」と言ってくれていた。私自身は香川に帰って、無我夢中であっと言う間の15年間だったが、最近はやりたいことが次から次へと現れ、悠々自適や余裕の人生には程遠い日々を送っている。
結構激しい人生を送った私の父も、二年あまり前に逝ってしまった。とにかく思った事は即実行、テキパキ行動する人物が男女を問わず大好きな父だった。子供の頃から父に反発し、父の思いとは反対の行動ばかりしていたが、今は父が喜ぶような事や、母が『おとうちゃんと同じような事ばかりやっている。』と心配するような事ばかりやっている。
父が逝った時に感じたのだが、遺体は当然だがなんの意志もなく、反応もなく『モノ』そのものになっていた。あの父が・・・と、ショックだったが至極当たり前のことだ。「0」。きれいさっぱり「意志」はなくなっていた。さまざまな事情により、大変不自由だった末期と、その無念さといらだちを思うと、涙が止まらなかった。
私も54歳になり、地元のためという様々な事業に呼ばれる事が大変増えている。私の座右の銘は「ていねいに、ていねいに。」だから、いちいち丁寧に対応することを心掛けている。でも、時々『なんのために、こんな事やってんのかなーあ?』と疑問に思う事もある。近寄らない方がよっぽど楽。間違いない。でも、やってしまう・・・。なんなんだろう?結果は出しているのか?多分全て中途半端で、途中段階ばかり。自己嫌悪に陥る時も最近は多い。
今年の正月に高校時代の同窓会が観音寺であった。風邪で前日まで熱でうなされていた中途半端な体調。酒も一滴も飲まず、果物ばかり食べていた。その同窓会で、久しぶりに共同通信のソウル支局長をしている、平井久志さんに会った。中学時代から「ひさっさん」と呼んでいた同級生。もちろん、彼は優等生だったから、そんなに親しくはなかったが、うちの嫁さんと『ジャーナリストになろう!』と言っていたらしい。彼も何かに書いていたが、子供時代の夢どおりの職業につけた、幸せな人。私も小さいころから絵ばかり描いていたから、ほぼ近い職業をやれている幸せな人?
そんな彼に「こっちに帰ってきてよ!」と言ったら、「高松支局なら、自己申告すればすぐに帰れるよ。」と言っていた。でも、彼の奥さんは韓国の人。彼は退職後は、東南アジアで住みたいと言っていた。その時はわからなかったが、東南アジアの地図が頭に浮かんだ時、理解できた。
韓国(ソウル)、日本(東京、観音寺)そして東南アジア・・・三角形ができる。彼は多分、韓国と日本を等距離で、横からじっと見ていたいんだ!そう勝手に理解した。そうなると、私が軽く口にした、香川や観音寺に役に立ってほしいという勝手な願いは、非常に小さい。彼には、もっと大事?で大きな役割があるんだ・・・。彼の活躍の場所は、観音寺ではない。
2007年問題があるように、これからうちの兄たちの世代、『団塊の世代』が確実に世の中を騒がせていく。若い時は「動かしていく」だったが、今は『騒がせていく』か。でも、彼らのポテンシャルは、非常に高いので、意識と動き次第では確実に世の中の役に立つ。そういう意識レベルが高く、疲れ果てていない人が、どれだけいるかが問題だ。地方には咽から手が出るほどほしい即戦力。なんとかならないものか。もっと活用する方法を、行政も本人達も意識できないものか。あっちとこっちをくっつけるシステムができれば、国のためにもなるとも思えるのだけど・・・。出会い系サイトや喫茶じゃないけど、ぜひできてほしいものだ。
身近な友人達の死から、とんでもない方に話が飛んでしまった。年末、年始とも最悪だったが、自分の人生を色々考えてしまったこの二ヶ月だった。


◎12/12
朝日新聞に「観音寺のおっさんの詩」をやっているデザイナーとして紹介された・・・。
・11月29日の朝日新聞香川版に「観音寺のおっさんの詩」をやっているデザイナーということで、少し紹介されました。取材に来た新聞記者は、若手のなかなか元気な記者でした。香川の前は奈良にいたようです。海外生活経験もあり、高校一年までアメリカにいたようです。ケレン味のない好青年で、こんな若い人が香川にたくさんいて、地元のために動いてくれれば、ずいぶん香川も元気になるのに・・・などと、勝手に思ったり、逆に記者に興味を持ちました。今度、逆取材してみましょう。

彼と約2時間のやりとりのうち、特に印象に残ったのは、忘れ去られた商店街を再開発する必要があるかどうか、意見が分かれた時の一言です。彼の意見は『若い人たちは、郊外の新しい町で、今歴史を作っているのでは?』との一言。私が「思い出がいっぱいつまり、伝統や歴史あるかつての中心地を再開発する方が、町にとってもいいのでは?」との私の意見に対しての反論?でした。彼の言いたかった事は「ノスタルジーで無理やり再開発するより、自然発生的にできあがりつつある町を中心に、元気になればいいのでは?」との主旨です。市場原理にまかせるということ。私の妻も同じ意見です。

話は急に変わりますが、数年前「六畳の家具」を始めるにあたり、フランス・リヨンのデザインセンターと交流しました。現地での意見交換会の時に、フランス側の発表で印象的だったのは、『私たちが大事にすることは、伝統とアイデアと革新』との発表でした。日本ではなかなか『アイデアと革新』の中に『伝統』は入りません。他にも印象的だったのは、アルミサッシやコンクリートで固めた護岸(河川上流域)などをほとんど見かけなかった事。もちろん、日本の台風など地理的条件もありますので、どっちがいいとか正しいとか、いちがいには言えませんが、少々考えさせられました。私のその時の感想は『日本の戦後社会と企業や父親世代は、効率、効率でやってきた。そして、豊かになった。』という事。本当に「豊か」かどうか?今問い直される事がよくありますが、アルミサッシやコンクリートが、普通にあたり前のように思っている私たちの生活自体が正しいのか?私たちの周辺に、山ほどあることですが・・・。

なにごとも効率優先。古いものは捨てる。日本は、神様も25年おきに新しくなりますから(伊勢神宮)何ごとも、まっさら、新品をありがたがります。フランスは町にも規制がかかり、古いものが多い。めちゃくちゃで、自由な日本をうらやましがるむきもあります。やはり歴史を無視するとろくな事がないし、歴史にはいつも新しい事を成すためのヒントが隠れている感じがします。少々話が大きくなり過ぎたけど、私が言いたかった事は、かつての中心地は大事にした方がいい、という単純な事です。町の背骨。なにかその方が、無理がなく、最終的に落着いた豊かな町ができそうな感じがします。もちろんそこに暮らす人達の意識が、大きく影響しますが。どちらにしても、市民や訪問者に愛され、価値がある界隈でなければ貴重な税金を投入する意味がありません。だから、責任は大きい。


◎12/9
世田谷ものづくり学校見学。横浜トリエンナーレ2005見学。
東京デザイナーズウィーク少し体験。
武蔵野美大の30年ぶりの同窓会。忙しかった・・・。


・11月上旬、東京の「世田谷ものづくり学校」に行って来ました。松村校長のいいお話を高松で聞いたのはついこのあいだでしたが、ものづくり学校は思った以上に現実的に動いていました。さすが東京、入る業種もさまざま。皆さんがんばっているようです。学校自体も校長のお話では、世田谷区からさらなる波及効果を求められているようです。
天気も良かったので、日の差込む食堂でのんびり昼食を食べました。古いけど皆の思い出がいっぱい詰まっているだろう穏やかな元教室、ゆっくりもできました。偶然ですが、旧知のデザイナー(虹ゾウで売出し中の林修造さん)が学校の二階に入っていて、しばらく懐かしい思い出話やこの15年間のこと、そして学校の事を話合いました。見学して特に驚いたのは、家電メーカーのサンヨウがデザイン室を作り、“世田谷住人向け”商品を開発していること。驚きました。デザインは、そこまで細分化しているのです!見学者も結構いるみたいで、学校近辺への波及効果や刺激は、意識レベルの高い周辺住人にも、よい影響を与えているようです。
色々見て思った事は、「世田谷ものづくり学校」もこのあと報告する「横浜トリエンナーレ2005」も、若い人を確実に動かしていますね。それと個人の思いと熱意が見える。そんな感じがしました。

・「世田谷ものづくり学校」校長には二日目にお時間をいただけ、小一時間お話を聞けました。アポなしで行ったにもかかわらず、会っていただけました。私が苦労している香川の愚痴話しには、『必要がないから続かないんじゃない?』とのキツイ一言で終り。大車輪で活躍している勢いを感じました。

・横浜トリエンナーレ2005は、さすが横浜、なかなかの規模と内容でした。国際港の歴史、施設と主催者の力量、そして参加者のやる気で、想像以上の規模と内容を感じました。出品者のレベルの凸凹は、少しありましたが、とにかくロケーションがすばらしく、土曜日でしたので、みなさんゆっくりと休日を楽しんでいました。母親と来た30才前後の息子が『よかった!頭が開いた。』と言っていたのが、特に印象的でした。アートの力だと思います。
わが高松にもサンポートと海や港があるし、横浜にはない島々があります。行政とスポンサーがその気になれば、特徴的な事ができるのに・・・。なんとか香川・高松独自の催物ができないのでしょうか?県の予算配分を、前例のないぐらいに、いびつにしてみたら?・・・などと思ったりして。

・東京デザイナーズウィークは、メイン会場に行く予定が、二日目の松村校長との面談で時間がなくなり、行けずじまい。南青山近辺は、全然盛り上がっていませんでした。人にきいたり、インターネットで確認しても、メイン会場は少々がっかりだったようです。行っていないので、いいかげんなことは言えませんが。元気な東京らしいイベントだったのでしょう。

・武蔵野美大の30年ぶりの同窓会は、やはり懐かしく、楽しいものでした。それぞれの人生が垣間見えるのは、どこの同窓会でもいっしょですが。年齢的にも会社をやめたり現場をはずれたり、それぞれの人生の軌道修正をしている人が多かったようです。
なんだかんだで、東京でのデザイン・アートづくし。刺激はたっぷりもらった。何かに活かさなくては・・・。

◎12/5
 ちょっと油断したら、もう師走。10月後半・11月は、仕事が忙しかった。暇より忙しい方がいいので、ありがたいことである。感謝しながら、仕事していると、あっと言う間の年末だ。
 プライベートも含め、さまざまな事があったので、箇条書き風に、書きます。

・10月上旬は、実家の蒲鉾屋、仁加屋の全面新装オープン1周年。これまた、あっと言う間の1周年。心ばかりのプレゼントを準備し、お客様にプレゼント。チラシの裏面にfax注文用紙を入れたり、大騒ぎ。注文用紙一枚作るのにも、さまざまな事が新たにわかりました。実地に勝る勉強なし!やはり現場の作業は役に立つ。日本テレビ「新・どっちの料理ショー」に紹介された余波は現在も少しあり、その波を逃さないよう年末商戦にむけて、おっとり刀で準備しています。高級品が飛ぶように売れ始めている?との報道もありますので、皆の心配と反対を押し退けて、3万円の香川漆器の重箱に蒲鉾を入れて売出してみようとしています。箱代ばかりの、高級お歳暮をどうぞ。10箱限定です。
 蒲鉾の仁加屋 http://www.k-nikaya.com/

・その香川漆器のお重は、私がデザインしました。この秋、第47回日本民芸公募展で「優秀賞』をいただきました。始めての漆器デザインで、賞をもらえるなんて画期的です。値段が高い?ためにそうたくさんは売れていませんが、香川県の有名な漆芸作家、北岡さんにもお誉めの言葉をいただいた、私もお気に入りの象谷塗お重「流れ三段重」。自宅でも使っています。嫁さんにその象谷塗お重で、夜食を作って事務所に持って来てもらうと、なんとも豪華で場違いで、リッチな気分になります。本当です。ちょっと前の日本人は、日常的に、そんな豪華な気分を味わっていたわけです。漆器は本当に優しく、優雅な気分にしてくれる器です。このHPのショップにも載せていますので、一度見てやってください。香川漆器のためにも。

・10月中旬は、観音寺市の琴弾八幡宮の秋祭り。旧観音寺町内のちょうさ(太鼓台)の秋祭りです。最終日は秋晴れの快晴。派手なちょうさがキラキラ輝いていました。それより輝いていたのは、若い女性群。短いスカートで、大挙会場の十王堂広場に押寄せていました。どこにこんなに若い女性達がいたのか!?それにしても、元気な迫力ある女性群のミニスカートに比べ、ちょうさをかいている若い男性群はちょっと元気がなかった?かも。秋祭りの元気なちょうさの見せ方も、そろそろ考えてもいい時期か。三月の市制50周年記念の「ちょうさ大集合」に感激した私としては、ちょっと気になる秋祭りでした。そういえば、同級生の『ちょうさ祭り仕掛人』に聞きますと、ちょうさは、女人禁制らしい。私が小さいころは、長いロープを町内の小さい子供達が先導して、引張っていた記憶があるのだけど・・・。その時は、確か女の子もひっぱっとったんじゃないかなあ?確かでないけど。それと、今回の秋祭りのポスターとカレンダーの表紙は、私がデザインしました。知人に『ちょうさで儲とんは、お前だけじゃー!!』と言われた。ちょっと、ショック・・・。
 10月下旬から11月は、次回で。忙しい中、アート、デザイン三昧でした。


◎10/15

「廃校を再生した“ものづくり学校”の取組み」について、
世田谷ものづくり学校(IID)校長 松村さんのお話を聞いた。

香川経済同友会主催の講演会だったので、正直、あまり期待していなかった。理由もなく漠然とそう思って参加したが、予想を裏切るいいお話ばかりだった。香川経済同友会の皆様、ありがとうございました。
講演の内容は、これからの日本が抱える問題のひとつ、「少子化による学校の統廃合と跡地利用」の問題。それぐらいは理解していたが、松村校長のお話は、小さいデザイン事務所を切盛りし、最近はグラフィックデザインの枠を越えて、衰退する地場産業の活性化や衰退する(衰退する相手ばかりだ・・・)商店街再開発にちょっと関係している今の私には、大変ためになり、かつ耳の痛いお話が多かった。 松村校長のお話で、特に印象に残った話題は、

1.“終わり方”を考えて、今回のプロジェクトを始めていること。
2.“面白い”がキーワード。
3.「学習」と「学問」の違いについて。
4.「被害者意識」と「加害者意識」の違い・・・などなど。

肝心の「世田谷ものづくり学校」の事は、ホームページでご確認ください。私の印象に残った上記の話題を、思い出しながら少し書かせてもらいます。
1.“終わり方”を考えて、今回のプロジェクトを始めていること。
このお話は、最後の質議応答で出て来ました。『どうして今回は5年で?5年先はどんな事になっている?』というような質問でした。松村校長は、「5年ぐらいのスパンがプロジェクトっぽいし、5年後にはまた生まれかわれる。(他の事ができるという意味に解釈)それに、5年ぐらいだと“終わり方”を考えて始めることになる。」というようなお話でした。さりげなく出た“終わり方”。非常に大事なポイントだと勝手に思いました。
私たちが関与しているプロジェクトや組織、そして人の一生も「終わり方」が難しいし、とても大事です。ほとんどの事が中途半端!尻切れとんぼ!うやむや・・・。最近私が関係した補助金を活用したプロジェクトは、特に中途半端で終わる事が多い。これではいかん!と思って必死に動くが、悲しいかな中途半端に尻切れとんぼ。周りも現実的な理由で、ちっとも動かない。力のなさを実感し、落込んでしまうことが多い。借りた金はちゃんと返す。やり始めた事は、ちゃんと始末をつける。(それなりの結果が出れば、もっといい。)誠に当たり前の事ですが、それがなかなか難しい。結果も出し(ご本人は“奇跡”とおっしゃっていたが)、明解で凛々しい松村校長を、尊敬してしまいました。
2.“面白い”がキーワード。
世田谷ものづくり学校には、プレゼンテーションの達人がいるらしい。その人いわく、『プレゼンテーションで、いいですね!とか、よかった!といわれたものは、競合に勝てないことや実現できないことが多い。“面白い”とか“すぐやりましょう!”と言われないといけない。』というようなお話でした。最近、まったくそのとおりに言われて、競合プレゼンに負けてばかりの私には、大変耳の痛いお話でした。校長は、キーワードとして“面白い”が浮かび上がった時に、語源を調べたらしい。“面”は目の前、世の中や社会。“白”はクリアーに明るく開ける事。「目の前が明るく開けるような事」の意味だったらしい。私には「目からウロコ」。
3.「学習」と「学問」の違いについて。
世田谷ものづくり学校の最重要人物、イデーの黒崎さん(東京南青山にあるインテリアショップのオーナー。最近は東京デザイナーズブロックでも、発起人の一人として日本のプロダクトデザイン界を引張っている)に、校長は「学習」と「学問」のどっちがいいか聞かれたらしい。校長は、最初「学問」は重いから「学習」と思ったらしいけど、字をよく見て気がついたらしい。
「学習」は『習う』事を学ぶ。「学問」は『問う』事を学ぶ・・・。今の教育は、学校は、全て簡単に答えを出し『問う』事を全然教えていない。“答え”を教える事が教育になってしまっている、とのお話でした。今回の講演会も「学習」で終わりそうだし、香川県は、特に「学習」がうまいのが県民性。
4.「被害者意識」と「加害者意識」の違い。
松村校長が会社を潰した時のお話。どうもバブルが弾けたころのお話らしく、大変だった会社より先に、取引銀行が倒産し、連座で校長の会社も潰れたらしい。だから「被害者」。債権者にもそうとう詰寄られたらしいが、「加害者」という意識に気がつくと、やらなくてはいけないことが、山ほど目の前にあることに気づいたらしい。
「被害者意識」と「加害者意識」。確かに商店街の凋落にも「被害者意識」が渦巻いている。だから頼る。「加害者意識」に変わると、本当にやらなければいけない事は、山ほど見つかる。うちのスタッフにも、軽く「被害者意識」と「加害者意識」の切り替えを話した。なかなか説得力のある話になるようだ。「被害者意識」も、ちょっと視点を変え、横から客観的に見ると、状況は違って見える。これもわかっているけど、なかなか難しい。だから楽な方に流れる。いつも。
お話は、どれも“視点の変換”の大事さをお話しているように、感じられた。いつも同じ視点で見ないで、さまざまな視点で見ることの大事さ。裏と表。日なたと影。今回の選挙の結果関連記事でも、「光りが強ければ影もまた濃い」というゲーテの名言を時々目にする。ちょっと今回とは違う話だが、考え方、見方を変えると物事は違って見える。

◎9/30
香川県デザイン協会の研修で、直島の地中美術館を見学。べネッセ、家プロジェクト、地中美術館。
とにかく圧倒的なクォリティとスケールとディテール!素晴らしかった。 三連休の最終日のプチ団体旅行は、へたな海外旅行より素晴らしい、中身の濃い日帰り旅行でした。久しぶりの“宇高連絡船コース”の気持ちよさに喜び、一流のモダンアート群と安藤建築の素晴らしさに圧倒され、新鮮な驚きの連続でした。それもなんと香川県内で!
高松市内のサンメッセ前から、約50人が乗ったバスが出発。高松港でそのままフェリーに乗船。久しぶりの瀬戸内海クルーズ、天気も良かったので大変気持ちのいい船旅でした。初めて海側から、サンポートを眺めた。昔の宇高連絡船から見た高松港より、随分モダンで高い建築群は、ちょっと無機質。なぜか懐かしい連絡船のうどんを思い出した私でした。
直島に着くと、連休のためか、けっこう観光客がいたのにも驚く。まずは家プロジェクト。最初は本当に真っ暗やみの中にあるアート作品。恐いくらいの闇に、いっしょに行った嫁さんと思わず手をとりあってしまった。しかたない。5,6分は本当に何も見えなかった。善通寺の本堂地下にある闇の遊歩道?と同じく、胎内を体験させてくれるアート作品。安藤さんも言っていたが、普通のおっさんには少々???かもしれない。
次は白壁が素敵な民家で、水に浮かび点滅するデジタル数字群。ここも少々暗いが、わかりやすいし、きれいな作品。作者の意図は現代社会を表現しているのだと思うが、素直にきれい!面白い!ほしい!と思えるので、人気は高かった。日頃、デジタル漬けになっている私としては、白壁が素敵な民家と水の組合わせが新鮮だった。印刷物では何回も見ているが、やはり現地で本物がいい。一人で静かに、夕方ごろ見たかった。
次は、静かで無人を感じさせる写真ばかり撮るカメラマンが設計した、小さな神社。非常に見たかった作品だが、これは写真の方が良かった。完全に通り抜けできる地下道かと思っていた。
家プロジェクトの次は、いよいよべネッセハウスの美術館。10年前、できたばっかりの時、夏に予約して理由は忘れたけど、泊れなかった憧れのホテルと美術館。とにかくロケーションが素晴らしく、個々の作品がどうのこうのと言うよりも、ロケーション、建物、空気感、作品、全てが一体となり、そこにいる事自体がうれしかったし、素晴らしかった。宿泊して、人が少ない夕方や夜や早朝に美術館を巡りたかった。貴重で、濃い時間が体験できたと思う。少々高価でも、そんな時間をたまには味わう余裕というものが最近の私にはない!
次は完成して、まだそんなに時間がたっていない「地中美術館」。圧倒された。建物も凄い。建物もまさに作品。モダンアートが、地中美術館のように、設置されている場所含めてのアート作品であれば、もっともっとわかりやすく、感動も与えられることが今頃わかった。天気と時間による光りの変化。建物も自然環境を見事に切取ったり、取込んだり、とにかく飽きさせない。疲れるほどのクォリティとスケールとディテール!
最近富みに『おばさん度』が急激に上がり、本能的直感的に、なんの躊躇も配慮もなく気持ちと感情を見事に素直に口にするようになったわが嫁さんも、感激し絶賛していた。建築も作品も本物だ!!
こんな近くに、日常のすぐそばに、見事に存在する本物の建築とモダンアート作品群。海外の人が来たがるのもわかる。香川県や岡山県の人達は、本当に幸せものだ。素晴らしすぎる。
今回の研修旅行の前日に、同じく香川県デザイン協会の講演会で、建築家安藤忠雄さんのお話を聴いた。さすが大阪出身だけあって、飽きさせない語り口。内容もあり、特にこれからますます地方は疲弊していくので、自分達で地元をよくする努力をして行かないといけない!仕事は自分で作る!というお話はよかった。
直島では、その圧倒的スケールとクォリティとディテールの仕事を見せてもらった。地元のために、『圧倒的小スケール』で、なにやらわけのわからない事をやっている私としては、勇気づけられたし感動した。私にはあまり時間がないけど、遠い夢にむかって進み続ける勇気も、間違いなくもらえたかな?
あんな近くに、現在進行形の世界でも屈指の『夢』があったとは。心から感動し、驚いた。


◎9/7
日本テレビ「新・どっちの料理ショー」の特選素材に仁加屋のちくわが選ばれ、全国から注文が殺到!本店のショーケースもからっぽに!!
暑い夏が終わろうとしている時に、ようやく更新。娘にも「本当に時々ね!!」と怒られてしまった。第2回「ドピカーンやなぎまち」は、本当に暑かった。しかし、もっと熱い事件がありました。
私の実家の蒲鉾屋が、なんと日本テレビ「新・どっちの料理ショー」の取材を受け、日本中に紹介され、日本中から注文が殺到したのです!!!ちくわを中心に、蒲鉾全てが連日売り切れ。旧盆の夏休み時期でもあり、うどんブームの時のうどん屋みたいに、連日県外ナンバーがわんさか押し寄せました。阿波踊り見物の帰りにわざわざ寄ってくれた、尾張小牧ナンバーで愛知万博会場近くの御夫婦もいらっしゃいました。徳島と観音寺はそうとう離れているのに。それも帰省ではなく、純粋な観光目的。驚きました。御夫婦の万博のPRと勧誘にも驚きましたが。
実家は観音寺で100年以上続く蒲鉾屋、仁加屋。「本物の蒲鉾」をうたい文句に、今でも既製のすり身(魚肉をすりつぶし、パテ状にしたもの。今ではほとんどの蒲鉾屋が、大手メーカー製の既製のすり身を使用。)を使わず、魚から調理して蒲鉾を作っている蒲鉾屋です。なんのことはない、40年以上前から作り方も機械もなーーにも変わっていないだけ。つまり4周以上遅れて、いつのまにか珍しい蒲鉾屋のトップ?になっただけのこと。最近店はきれいになりましたが、機械は古いものばかり。ところがそんな珍しい小さい蒲鉾屋を、なぜか日本テレビ「新・どっちの料理ショー」チームが見つけ、取材を受けたわけです。
兄が社長をやっているのですが、私に連絡があったのは取材当日の夕方。あまりの遅さに文句を言うと、「どんな取材になるかわからんかったし、最初は断ろうとしたんじゃ。」とのこと。驚きました。かろうじて翌日も少し取材が残っているとのことでしたので、早起きして実家に駆けつけました。ギリギリセーフ。
かろうじて取材風景を逆取材しましたが、どんな紹介になるか私にもまったくわかりませんでした。だから、東京や高松の友人たちにはほとんど連絡せず、一部の親戚に連絡しただけ。番組を見て、あまりの丁寧で、好意的な扱いに、本当に驚き、連絡していなかったことを後悔しました。関口宏さん、本当にありがとうございました。おかげさまで、オンエア以降は、家族が倒れるのが先か、客と注文の数が減るのが先かと言う状態が2週間近く続きました。普通だと暇な夏なのですが・・・。
「どっち神風」のおかげで、仁加屋のホームページのアクセス数も、半端ではありませんでした。未完成のままでしたので、普通は多くて20ぐらいのアクセス数。それが番組当日の夜2時間で、約1,000!翌日は、なんと4,000!!驚くべきアクセス数でした。観音寺の情報も入っていますので、ちょっとは観音寺のPRの役に立ったはず。本当に驚きました。テレビの人気番組の威力はすごい!
驚いた事がもうひとつ。ちくわを注文してくれた信州の女性のお客様で、すぐに返品をして来た方がいらっしゃいました。メモには、『テレビの味と違います。堅くて塩っぱいです。』とのこと。後ほど連絡を取ったのですが、「とりつくしまもない」状態で、今度は「PRばかりしていないで、テレビの味を作る努力もしなさい!」とお叱りを受けてしまいました。勉強になりました。“嗜好品”だから、ひとそれぞれ好みが違うのは当然。でも、うちの蒲鉾は、むかしからあの味で変わっていませんし、もちろんテレビ局に送った物もいつものちくわでした。特別に作る余裕もありませんし・・・。1件だけでしたが、そんなこともありました。
しかし、今回の騒動には本当に驚きました。テレビの威力とテレビの情報をもとに動いている人達のパワーに。色んなことを考え、学び、教えられた「新・どっちの料理ショー」騒動でした。今回は本当に「神風」。うちの実家、蒲鉾の仁加屋は、これからもいつもどおり、美味しい蒲鉾を作っていくはずです。日本テレビさん、本当にありがとうございました。そして全国のお客様、これからも仁加屋の蒲鉾をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。


◎6/30
「かんおんじ銭形まつり7/16〜18」と同時開催の観音寺市柳町商店街のイベント「ドピカーンやなぎまち」に「観音寺のおっさんの詩」セレクト屋台出現!! 7/18(祝)は、観音寺市柳町商店街へどうぞ!

ゆるーーいホームページ「観音寺のおっさんの詩」を立ち上げて、はや4ヶ月。多くの人に見てもらっていますが(米国のロスにもファンがいます。)、とうとうイベントに屋台で参加する事になりました。「観音寺のおっさんの詩」セレクト屋台!!本当に、できるんかいな?・・・不安いっぱいです。とにかくPRのチャンスですから、長駆?高松から参加する事になりました。うちの若い女性スタッフもいっしょです。
商品は、ホームページのk-ossan Webショップで売っているものが中心。麦わら帽子は、従来品に加えて、特製の手編み皮ひもベルトやチロリアンテープで飾られた、スペシャルバージョンを5個追加。仁田貴夫デザインの香川漆器や椅子は展示注文販売。南蛮焼締陶器も少しですが販売します。そして、北海道の木工作家の木製オカリナも販売します。数が限られていますので、早めにどうぞ。
夏祭りに冷えたビールは欠かせませんので、ビールに最適な食べ物もご用意する予定です。観音寺で100年以上の歴史を持つ、手作り蒲鉾の「仁加屋」(実は、私の実家です。)の“まかない食”から生まれた新製品「ちくわチップス」が新登場。生魚から蒲鉾を手作りで作る、数少ない蒲鉾屋ですから、味はグーー!!。癖になるおいしさです。とにかくうまいです!
本当に私は、何をしようとしているのでしょう・・・?うちの女性スタッフも参加しますので、「観音寺のおっさんの詩」は華やかですよ!デザイナーばかりですから、当然飾付けはまかせておいてください。きっとイベントを少しは派手にできるはずです。一生懸命、元気に販売します。
でも、売れるかどうか・・・???心配です。
そうそう、オリジナルTシャツも今回のために、用意しました。「観音寺のおっさんの詩」オリジナルTシャツ。白Tシャツでサイズは、USAサイズのS、M、Lです。当然、若い人に受けるようデザインしました。デザイナーたちの夏祭りに、乞うご期待!!

◎6/10
前回に続きまして、色々聞かれた質問を再度少し・・・。

質問1.「仁田さんの本業は何ですか?」
グラフィックデザイナーです。広告代理店に長くいましたし、今も現役(四国高松ですが)ですので、名刺には「アートディレクター」と肩書きが入っています。印刷媒体の広告やデザインを企画立案し、カメラマンやイラストレーターたちに依頼(たまには自分でやります。ほとんど予算の関係で・・・)して、目的にベストと思われる写真や絵を作り上げ、広告やポスターを仕上げるのが本業です。
それが「六畳の家具」にかかわってから、肩書きが怪しくなってきたわけです。家具や漆器をデザインしてしまい、調子に乗り店舗や建物までデザイン(もちろん基本デザインプランまでですが)してしまっているわけです。自分でもブレーキが壊れたみたいで、少々不安も感じたりして・・・。行く所まで行く覚悟はもちろんあるのですが。

質問2.「よく時間がありますね?」
本当に! ある社長に言われました。「時間は見えんよ!時間の無駄!!やめとけ、やめとけ!!!」と。私もそう思います。でも、会社のスタッフに助けられ、なんとかやれているのですが、正直言いますと、取材を通じて段々面白くなってきているのです・・・実は。昔からデザイナーもジャーナリスティックな気持ちを持たなくてはいけない、と思っていたくちなので。段々何かが見えてきたかな・・・?という感触もありますので、一生懸命になれているわけです。でも、自分の意志でやっていますから、いつ突然やめるかわかりません。でも、なんとか続けたいと思っています。間違いなく。「何の役に立っているのだ?」との質問はなしですけど・・・。自己満足以外のなにものでもない感じもしますし。

◎5/11
このゆるーーーい感じのホームページを立ち上げ、色々聞かれた質問を少し・・・。


質問1.「キャラクターのおじさんは、頭に髪の毛があるけど?」
キャラクターのおじさんは、私ではありません。以前仕事(父の日)で作った不採用キャラクター案のひとつ。けっこういい感じでできたので、大事にしまっていました。観音寺のおっさんのイメージ。

質問2.「どうして帽子を売るの?」
実は私の頭は、異常に大きいのです。私の頭にあうサイズ(60cm弱)はなかなか手に入りません。ディズニーランドで20年以上前に買った麦わら帽子(たしか「冒険の国」のデービークロケットのコーナーで買った鳥の羽飾りがついたテンガロンハットタイプ)がとうとうだめになり、ここ3年ほど色々探していたのです。
そこで思い出したのが、例年今頃のTV地方ニュースで必ず取り上げられる季節風物詩のニュース。「帽子屋さんが麦わら帽子をフル生産」というニュースです。工場は観音寺市、毎年気になっていました。今回とうとう観音寺の人に教えてもらって、工場を訪問しました。丸高製帽。念願のオリジナル麦わら帽子を作ろうとしたのですが、金属の型だけで30万以上かかるとのお話。諦めかけていた時に出てきたのが、このショップの麦わら帽子です。
サイズは少し小さいけど、ギリギリ合う!クゥオリティもいける!デザインも大人っぽい!黒いベルトもダンディ!・・・ということで、売ることになってしまったのです。帽子が似合うとかっこいい。大きい顔に似合わなかったら最悪!
観音寺のおっさんは、なぜかかっこいい麦わら帽子をかぶっている・・・。そんなことを夢見て、今回のショップの一番最初に取り上げました。説明が長くてすみません。


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